2010年03月01日

ボビー・ウォレス

ボビー・ウォレス(Roderick John "Bobby" Wallace, 1873年11月4日 - 1960年11月3日)は、1890年?1910年代のアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは遊撃手。ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。右投げ右打ち。『ボビー』は愛称。本名から『ローディ(Rhoddy)』とも呼ばれた。選手、監督、審判、コーチ、スカウト等で、メジャーリーグと60年間関わった。略歴1894年に先発投手としてクリーブランド・スパイーダーズに入団。2年目3年目でそれぞれ12勝14敗、10勝7敗の成績を上げた。4年目の1897年に三塁手に転向し、この年打率.335、112打点と打撃面での活躍を見せ、内野のレギュラーに定着した。1899年にスパイダーズからカージナルスに移籍。カージナルスでは遊撃手をこなし、打撃面もキャリア二度目の100打点以上をあげる活躍をした。1901年には自身二度目の打率三割(.324)をマークし、守備面でもこの年のリーグ最多となる542の補殺と、67の併殺を記録する活躍を見せた。カージナルスで活躍していたウォレスは、1902年に本拠地をセントルイスに移したセントルイス・ブラウンズに移籍、1911年頃までチーム不動の遊撃手となった。1911年と1912年はチームの監督を兼任するが、監督1年目のチームは45勝107敗と散々な成績で、翌年の5月には兼任監督の座を退いている。1913年以降は出場機会が減ってきたためか、1915年に彼は審判員としての訓練を積んで、その年111試合のゲームを裁く(同年、選手としても9試合に出場している)。なぜか審判を務めたのはこの年限りだった。ブラウンズに15年在籍した後、1917年にカージナルスに戻り、翌年引退。選手歴は25年、46歳までプレーしたことになる。引退後はシンシナティ・レッズのコーチなどをしながら現場に関わり、1937年シーズン終盤に25試合ほどレッズの指揮をとった。その後は80歳を超えるまでチームのスカウトを務めていた。1953年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り。1960年カリフォルニア州で87歳で死去。通算成績打撃成績※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。投手成績通算:試合数57、投球回402、24勝22敗、完封3、被安打469、被本塁打6、与死球156、防御

NHK評価委員会が指標作成(産経新聞)
陸山会土地購入 石川議員、政治献金800万円記載せず(毎日新聞)
「あなたの所有物ですね」「はい」… 凶器のナイフ示され、うなずく被告(産経新聞)
<迷惑メール>熊本・山鹿副市長らに大量送付 兄弟を逮捕(毎日新聞)
発見遺体は不明女性=中国人男ら遺棄容疑で逮捕へ−兵庫県警(時事通信)
posted by ネギシ ヨシオ at 23:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

羽田濃霧欠航、裁判官戻れず判決延期…函館(読売新聞)

 濃霧のため羽田空港を発着する航空便の欠航が相次いだ影響で、函館地裁の裁判官が25日に予定されていた刑事事件の判決公判の時間までに出張先から戻れず、判決は26日に延期された。

 この裁判官は22日から公務で東京に出張、25日に函館に戻って午後4時から判決を言い渡す予定だった。東京―函館間は1日7往復便あるが、この日は東京の濃霧で、午前11時55分函館着の全日空便が欠航になるなどの影響が出た。

 審理していたのは、函館市で昨年6月、現金約2600万円が入った現金自動預け払い機(ATM)をホームセンターから盗んだうえ、同12月には刑務所から脱走を企てたとして、同市内の無職男(28)が窃盗や逃走未遂などの罪に問われた事件。

山本病院理事長、手術の際に結紮処置をせず 地検、刑事処分を決定へ(産経新聞)
<公訴時効>殺人での「廃止」などを法相に答申 法制審(毎日新聞)
東京・八王子で震度3(時事通信)
「引退後は農業やりたい」=鳩山首相(時事通信)
<地デジ>難視聴地域対策 NHKが追加助成申請(毎日新聞)
posted by ネギシ ヨシオ at 08:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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